今月から毎月1回くらいのペースで、ジャーナリスト/コラムニストの北丸雄二さんに、『LGBTで考える人生の練習問題』と題したエッセイを連載していただくことになりました。20年以上にわたってニューヨークに住み、アメリカから日本を、そして世界を観てきた北丸さんの連載エッセイ、ご期待ください。

のっけから13年半前の話をしましょう。

2005年3月29日、映画『Shall We Dance?』のプロモーションで来日したリチャード・ギアが当時の首相・小泉純一郎を官邸に表敬訪問しました。なにせその髪型や髪の色から「日本のリチャード・ギア」とも言われた小泉さん、満面の笑みでギアに向き合って、並み居る報道カメラの前で唐突に2人でダンスを踊ろうと提案したのでした。

ニューヨークでも放送されたその時のTVニュースの映像を今でもはっきりと憶えています。ギアの顔が一瞬のうちにみるみる真っ赤になりました。戸惑う彼はそれでも気を持ち直し、失礼にならぬようダンスを受け入れるのですが、「自分がリード役になる」と言い張って小泉首相の右手を包み込むように下から持ったんですね。そこは譲らなかった。

これは実は、当時の欧米社会にとってはかなり衝撃的な映像でした。だからこそそんな取るに足らない話題がニュースや深夜のトークショーのネタになったのですが、その衝撃の理由は欧米社会では「言わずもがな」のことで、言外に仄めかされるだけで明示はされませんでした。

なぜか理由がわかりますか? 小泉さんはもちろんその種の欧米の事情をわかっていなかった。だからそういう行動に出たのでしょう。

英国BBCは次のように書きます。

Mr Koizumi took Gere's hand in front of a roomful of journalists and asked "Shall We Dance?"- the title of Gere's latest movie.
ミスター・コイズミが部屋いっぱいのジャーナリストたちの前でギアの手を取り、「Shall We Dance(踊りませんか)?」と頼んだ──ギアの最新作の映画タイトルである。
Gere obliged, but insisted on taking the lead, as the two twirled around the room for a few seconds.
ギアは応じたが、自分がリードを取ると主張し、2人は数秒間部屋を回った。

記事に付随したAPの写真には「Gere insisted on being 'the man'」とキャプションが付いています。「ギア、自分が『男』になると主張」

他のニュースでも同じような紹介のされ方でした。米CBSニュースはAP通信の記事を引いて「Gere: Leading Man In Japan」(ギア、日本でリーディング・マン)と見出しを打ち、日本の指導者(リーディング・マン)とダンスでのリード役の男性(リーディング・マン)とを掛けていました。あるいは「ギア、日本で男をリード」とさえ読める仕掛けです。

衝撃の理由の主たるものはまず、男2人が人前で堂々と社交ダンスを踊るというタブーの破壊力でした。さらにその男の1人が一国の首相=公的な人物であったという驚きです。この衝撃は即座に笑いに転化します。衝撃のままでは“社会の約束事”が壊れてしまうからです。いわゆる「笑ってごまかす」というやつです。一国の首相という公的な「リーディング・マン(指導者)」に対して、ギアは自分が私的な「リーディング・マン(リード役)」になるという関係の逆転を言い張って笑いを取ります。同時に、自分がことさら「男役=男」であるということを報道陣に、つまりは世界に向けて敢えて表明する、という冗談めかしの演出で。

ギアが文字どおり顔を真っ赤にしたのは、小泉さんが「男同士」の関係性の微妙な領域に踏み込んだからでした。当時の欧米社会では、男2人が手を取り合って踊るというのはホモセクシュアルなこと以外の何物でもありませんでした。それは「恥ずかしいこと」いやむしろ「破廉恥なこと」でさえありました。ところが日本社会では、欧米におけるホモセクシュアルなことへのタブーはしばしばホモソシアルな常態として受け入れられている、あるいは問題なく見過ごされることが多い。ギアが顔を染めた「男同士の微妙な領域」は、日本の男社会の中では敢えてそう意識しない限りは普通に「日常の領域」だったりするのです。

私が小学生のころ体育でフォークダンスの授業がありました。そのころ、男子は女子よりも多くて、ペアリングに余った男子の何人かはおのずから女子の列に補充されるようになっていました。すると男子同士で踊ることになります。「イヤだあ」とか「かっこ悪い」とか言い合いながらも、私たちはそれをなんとなくそういうもんだと普通に受け入れていました。振り返ってみれば、これはアメリカでは考えられないことです。保守的な地域では父母会でボイコット運動さえ起きるかもしれないほどの(とはいえ、もちろん日本式のフォークダンスの授業自体がないのですが)。

例えばソ連(ロシア)では男同士の唇へのキスは単なる友愛の挨拶でしかありませんでした。あれはモスクワ五輪(1980年)だったでしょうか、あるいはその前のモントリオール五輪(1976年)? 当時世界最高峰を誇っていたソ連の男子体操チーム、アレクサンドル・ディチャーチンらなんとも実に見目麗しい選手たちが、演技を成功させてチーム溜まりに戻るたびにいちいち唇でのキスを交わし合うのです。その彼らの美しさもあって、世界にTV中継されたその映像は内心大変な「衝撃」でした。そしてそれが他文化にとっての「衝撃」だとソ連国内でも知られていくと、トルストイの『アンナ・カレーニナ』などでも描写されていた同性同士のキスの伝統は急速にロシア社会から消えていったのです。

同じようなことは韓国のソウル五輪(1988年)でも起きました。当時の韓国社会では、若い男の子同士が手を繋いで街を歩くのは普通に見られる風習でした(女の子同士は今でもそうです)。ところがそれが欧米“先進国”社会からは「異様」に見えるという情報が広まると、五輪を機にその文化は消滅していきました。

前述のように、この「衝撃」「異様」の言わずもがなの正体は「ホモセクシュアル」というタブーです。ホモセクシュアルではまったくなかったにも関わらず、ホモセクシュアルに異常に敏感なアメリカ社会は、何でもかんでもそこにホモセクシュアルな匂いを(敢えて、あるいは懸命に探しさえして)感じてしまう……。気になってしょうがないのです。

私の小学校の時の話に戻れば、そういえば「肩を組んで廊下を歩かない」という校則もありました。あれは何だったのでしょう。男の子同士が肩を組み合うと「ホモセクシュアル」に見えるからだったのでしょうか、あるいは単に見苦しかったから? しかしそもそも、どうしてそれが「見苦しい」と見えたのか?

それは時に、あるいは往往にして、枯れ尾花を幽霊と見る、ハリネズミ的な過剰な自己防衛ではないのか?

第2回ではそんな男同士、女同士のホモソシアルな関係とホモセクシュアルな関係の違い、そしてホモフォビアについて考えていきます。
(続く)

■北丸雄二
北海道出身。コラムニスト/翻訳家/ときどきジャーナリスト/気が向けば小説家。
毎日新聞記者、中日新聞(東京新聞)ニューヨーク支局長を経て1996年に新聞社を退社。フリーランスとしてニューヨークでコラム、時事評論、芸術評論など多岐にわたって著述活動を続ける。ニューヨークに住んで24年、2018年からは東京をベースにしている。
公式サイト:http://www.kitamaruyuji.com
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