20年以上にわたってニューヨークで暮らし、アメリカから日本を、そして世界を観てきたジャーナリスト・北丸雄二さん。そこで得た知見をもとに、「LGBT」で人生を読み解きます。

ところで「ゲイ」という単語は、「ホモセクシュアル(同性愛)」という言葉と実は同義ではありません。ただし、昔は同じ意味でした。

というか、今ではL(esbian)、G(ay)、B(isexual)、T(ransgender)、Q(ueer/uestioning)、さらにはX(-gender)などと細分されてそれぞれに独立した性的少数者であるそれぞれは、昔(1990年代くらいまで)はみんなひっくるめて「ホモセクシュアル」だと実に大雑把に(非・ホモセクシュアルの人々によって)考えられていたのです。というのも、(非・ホモセクシュアルの人々という)圧倒的多数の(と思われている)人々にとっては、自分たち以外の「変な人たち」のことはべつに大して興味もなかったからです。それはちょうど、鳥に興味のない人にとっては鳥はみんな鳥で、植物に興味のない人にとって雑草はみんな雑草であるようなもんです。つまり「ホモセクシュアル」とは、「変な連中」全部のことだった──。

(今回はカッコを多用します。カッコ内の言葉は注釈とか補述とか私の心のつぶやき、みたいな感じで読んでください)

でもそんな「ホモセクシュアル」たちのほうはまず、自分たちがそういう「ホモセクシュアル」という、なんだか病理的で分類的な(しかも「ホモ」の部分はギリシャ語由来だし「セクシュアル」の方はラテン語由来というチグハグな)呼び名で(非・ホモセクシュアルの人々によって)呼ばれることが気に食わなかった。なので20世紀半ばくらいから自分たちを「ゲイ gay(お気楽な、陽気な、派手な、鮮やかな、楽しげな)」という、“あだ名”や“俗名”のような一般形容詞で(主体的に)呼び換えるようになったのです(日本語でなにか対応できる言葉はないかと考えたのですが、あえていえば文化的に「歌舞伎者(傾奇者)」かなとも思いつつ、でも彼らは無頼集団、犯罪グループでもありましたからね)。

そのうち、女性同性愛者たちがまずは60年代のフェミニズム運動と影響し合って、男性同性愛者たちとは違うアイデンティティを確立しようと「ゲイ」から離れて「レズビアン」を自称し始めます。

次に「LGBT+」の「B」たるバイセクシュアル(両性愛者)ですが、彼ら/彼女らはここ最近でもずっと「潔く同性愛者だと自分で認められない連中が、あたかもまだ異性とも恋愛関係を持てるかのように吹聴しているだけ」という、「まだ異性愛に未練がある」第二級の「ゲイ」であるかのような誤解を(LGBT+コミュニティの内部からさえ)受けたりしていたのです。

さらにトランスジェンダーに至っては「女装するゲイ」とか「女々しいオカマ」、ジェンダーが逆ならば「男装の麗人」とか、英語ならば「ブッチ・レズビアン Butch Lesbian(男勝りのレズビアン)」とか、まったく異なった分類で括られていたこともありました。あるいは「男性同性愛者であることでの差別や偏見が苛烈なために、いっそ『女』になってしまえばそのほうが楽だと思っているゲイたちのこと」とか、女性同性愛者であると思われていた場合は「女性であることの二重の差別や偏見をはねのけるために『男』を身につけたレズビアンたち」とかいう誤解です。

実際には同性愛者にも異性愛者にも両性愛者にも、女装する男性・男装する女性(異性装者)はいます。異性装者はトランスヴェスタイトとかクロスドレッサーとか呼ばれます。言葉遣いや仕草がジェンダー逆転している男女、より広くいえば「女々しい男」も「雄々しい女」もいます。そういう表示的なジェンダーの逆転だけでも「トランスジェンダー」と称することもあります。法律的にはそれだけではトランスジェンダーの構成条件とはされないことがほとんどですが。

恥ずかしい話、私もつい20年ほど前まではトランスジェンダーのことをほとんどわかっていませんでした(いまも深い部分に行くほどわからない発見が続いています)。ゲイやレズビアンやバイセクシュアルは、自分が生まれついて負わされる男性なり女性なりの肉体環境に違和感を持ってはいません(とは言っても、これも「持っている/持っていない」の二元論ではなくその間にグラデーションがあります)。男性同性愛者はべつに女になって男を愛したいわけではなく、男のまま男を愛するのです(これも実のところは明確な二元論ではありません)。自分の体が男性であるか女性であるかに関してそうやって違和感を持たないことをシスジェンダー(cisgender)と言います(ええ、これも同じです。しかもそこに時間軸が加わると、今日と明日で気分が違う人もいるでしょう=以下同様)。

それに対する逆の分類がトランスジェンダー(transgender)です。要は自分の頭のアイデンティティに関することで、例えば頭では自分は「女/男」なのに、生まれたときの肉体の外形を基に「男/女」であると思われ、かつその生き方を強いられていて、それは自分で違うと思う人たちのことです(これも二元論では割り切れないので、その中間に自分がどちらのジェンダーに属するのかわからない、あるいはどちらにも属していない、あるいはどちらでもあるように感じる人もいます。これをまた大雑把に「Xジェンダー」といいます)。頭をいじくってその性的アイデンティティ=性自認のあり方を変えることは不可能なので、肉体のほうを頭でしっくりする性に変える「性別適合手術」を受ける人もいます。が、その手術は肉体および精神にも大変な負荷がかかるので、手術の有無つまり性器の外形にかかわらず、その人の性自認こそをその人のジェンダーだと認識することが人権概念の趨勢です。

トランスジェンダーのような、さらにはXジェンダーのような生き方が存在するということを、ゲイの人たちも、さらにいえばトランスジェンダー、Xジェンダーの人たち自身も21世紀が近づくまでほとんど想像すらしませんでした。今では多くの人が知っている「現代ゲイ人権解放運動の嚆矢」とされる1969年のニューヨーク「ストーンウォール・インの暴動」も、「ゲイ人権運動」と銘打ってはきましたが、正確にはこれは今で言う「ゲイ=同性愛者」たちだけの暴動ではなかったのです。

前述したように「ゲイ(ホモセクシュアル)」というのは当時、今でいうLGBT(+QX)全部のことを指していました。LGBTQXの研究自体も適当なものだったせいでその全部が「同性愛者」つまり「性的異常者」だと分類されていたわけです。ところがストーンウォール・インの暴動で先頭に立って警官隊と対峙したのは、今から振り返れば主に当時「ドラァグクイーン」と呼ばれていた女装のゲイ(あるいはトランスジェンダー)たちや男装のブッチ・レズビアン(あるいはトランスジェンダー)たちだったことがわかってきました。厳密にいえばそれはつまり「ゲイ=男性同性愛者」たちだけの暴動ではなかった。しかも暴動の先頭に立ったドラァグクイーン、ブッチ・レズビアン、トランスジェンダーの中には黒人やラティーノらの人種的マイノリティも多く、いわゆる性的マイノリティのコミュニティの中でもさらに少数派の層で、数や経済力として中心を占めた「白人の男性のゲイ」たちというのはその割には“暴動”には直接参加していなかった(遠巻きに眺めていた)のではないかと考えられるようになってきたのです。つまり、ストーンウォールの暴動は主に、差別され虐待されていた性的マイノリティの中でもさらに差別や侮蔑を受けていた女性たちや「女だか男だかわからない変な連中」の怒りが臨界に達して惹き起こしたものだった。白人の男性のゲイ(同性愛者)たちは、当時の「ゲイ(性的少数者)」コミュニティの中のカテゴリーとしては相対的にまだ恵まれていた、だからそんな恵みの社会への徹底反抗に逡巡した、のかもしれません。

やがてそれは強烈なしっぺ返しを受けることになるのですが、それはいずれ本編のほうで話しましょう。

[参考動画]
『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』(Netflix)

『30 in 30: Sylvia Rivera』


現在のストーンウォール・イン。昨年の6月24日(日)、『ニューヨーク・シティ・プライド2018』のマーチに、「東京レインボープライド」の共同代表理事の二人も参加した。ストーンウォール・インの前で仲間とともに記念撮影。いよいよ2019年は、記念すべきストーンウォール50周年。日本からもフロートを出展できるよう、鋭意計画中。

続く。次回は2月20日(水)更新予定です。

*本連載エッセイは、誠文堂新光社ウェブサイト内の「よみものどっとこむ」との連動企画です。

■北丸雄二
ジャーナリスト、コラムニスト、作家、翻訳家/元々は毎日新聞から東京新聞(中日新聞東京本社)に転社した社会部畑の新聞社記者で、クリントンが大統領に就任した1993年にニューヨーク支局長に着任。3年半後の96年夏に帰任を命じられたのを機に退社し、独立。その後もニューヨーク在住のまま、大統領がG・W・ブッシュ〜オバマ〜トランプと変わった2017年まで、計24年間、米国政治・社会・文化、日米及び国際関係の分野でジャーナリズム活動を続ける。18年、実母の老齢化のために拠点を日本に移し、現在は主にトランプ・ウォッチャーとしてTBSラジオやFM TOKYO、大阪MBS及びネットTVなどで米国関連ニュースを解説。一方で、英米文学、ブロードウェイ・ミュージカルや戯曲の翻訳も多く、『世界』『現代思想』『ユリイカ』などで国際情勢から映画、音楽、文芸まで各種評論も行っている。LGBTQ+関連では90年に米国ゲイ文学の金字塔と言われる『ザ・フロント・ランナー』を翻訳刊行したのを機に、新聞業務と並行するライフワークとしてエイズ問題や刻々と拡大する人権状況を取材執筆開始。ニューヨークでは日本人コミュニティ向けにHIV/AIDSの電話相談の開設・運営にも尽力する一方、97年から、日本のゲイ月刊誌『Badi』に米国を中心としたゲイ関連ニュースコラムを連載。同年6月に青土社から刊行の『ゲイ・スタディーズ』(キース・ヴィンセント他著)でも全面的な監修を担当し、ほかにLGBTQ+関連のニュースを報じるプロフェッショナルが誰一人としていなかった当時、『AERA』で「日本に向けて性的マイノリティに関する正しい情報を発信するゲイのジャーナリスト」という紹介記事も掲載された。現在、十年来の同性パートナーと5歳の黒猫とともに東京に暮らす。
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