20年以上にわたってニューヨークで暮らし、アメリカから日本を、そして世界を観てきたジャーナリスト・北丸雄二さん。そこで得た知見をもとに、「LGBT」で人生を読み解きます。

 「ゲイ」、今で言う「LGBTQ+」の話題なんぞ、“普通”に暮らしている人々にとっては何の関係もないものでした。今から28年前の1991年に、日本でも初の画期的なゲイ差別損害賠償訴訟「府中青年の家事件」裁判が始まったのですが、それも社会的少数者には関係があっても社会的多数者たちにとってはほとんど興味のないものでした(同性愛者たちが、期待に反してそこらの一般人と変わらない風体で記者会見した、という光景以外には)。今から50年前、1969年6月28日の夜からニューヨークのダウンタウンでゲイたち数百人、数千人が三日三晩にわたってストーンウォールの“解放区”を作った時も、そこからちょっと離れたウォール街やミッドタウンではまるで何もなかったかのように普段の生活が続いていました。世界の性的少数者人権運動史上燦然と輝くこの事件ですら、アメリカ国内であっても(日本ではなおのこと)今でも知らない人は多い。人は、自分に関係のあるものにしか興味を持ちません。「関心」とはそういう言葉です。

オールアメリカン・ボーイの憂鬱

 けれど1985年のアメリカに、一般人が「ゲイ」のことに急に関心を持たざるを得ない事件が起きました。俳優ロック・ハドソンが、10月2日の朝の9時ごろエイズ関連の合併症でビヴァリーヒルズの自宅で亡くなった、というニュースが世界を駆け巡ったのです。59歳でした。

 彼はエイズで死亡した世界的有名人の初めての例となりました。身長196cm、黒い髪に優しげな目、ロマンティックな低い声──彼は、最もエイズから遠い(すなわちゲイとは無縁の)「オールアメリカン・ボーイ(All-American boy=全てのアメリカ人を代表するような男性)」という称号をほしいままにしていた人物だった(と一般には思われていた)のです。日本の芸能界なら誰に相当するかと考えれば、そうですね、女性にも男性にも大人気の国民的青春スターだった石原裕次郎とか加山雄三とか、そのあたりでしょうか。いまは「大スター」ってのはいないもんなあ。

 ですから、病状や所在など様々な噂の渦巻く中で、ロック・ハドソンのエージェントがとうとう「エイズを発症している」と認めたその年の7月25日(死の69日前です)以降、彼の病気は「男性同性愛者以外でもエイズになる」という社会的喚起・啓発の文脈でも語られたほどでした。当時の『ピープル』誌がハドソンの叔母リーラのコメントを引用しています。「彼がそう(ゲイ)だとは私たちは誰も一度も思ったことはありません。いつもなんともいい人(such a good person)だった。それだけです」

 けれど彼はゲイでした。

 『タイム』誌はこう書きました。「先週、ハドソンがパリの病院でエイズによる重篤な病状で横たわっているとき、このオールアメリカン・ボーイは、長年にわたりすっと公にしてこなかった秘密を抱えていたということが明らかになった:彼はほぼ確実にホモセクシュアルだったのである(he was almost certainly homosexual)」

 なんともホモフォビック(同性愛嫌悪的)でスキャンダラスな書き方です。確かに1985年というのはアメリカでエイズ禍が拡大(全米死者数はその年12,529人を数えました)し、その“元凶”としてゲイ・コミュニティが槍玉に挙げられ、それゆえに宗教保守派に支持基盤を持つ当時の共和党大統領ロナルド・レーガンはエイズを政治課題としては全く取り上げないままでいた、そんなホモフォビックな年でした。エイズ活動家たちの常套句は「だれか白人で金持ちのヘテロセクシュアルがエイズになるまでマスメディアも政治家もエイズのことに振り向きもしない」というものでした。そこに白人で、裕福で、屈強な“ヘテロセクシュアル”のシンボルだったハリウッドスターがエイズに襲われたのです。しかも彼は(やはりハリウッドの俳優だった)レーガンの長年の友人で、保守的なバリバリの共和党支持者でした。彼の真実が露呈したことの衝撃は凄まじいものでした。

 『サンフランシスコ・クロニクル』紙のジャーナリストだったランディ・シルツが1987年、エイズ禍拡大の真っ只中で大部の労作『And the Band Played On : Politics, People, and the AIDS Epidemic』(邦訳『そしてエイズは蔓延した』 1991年/草思社)を刊行しました。その本の最初の5年間のエイズ史の書き出しは「1985年10月2日、ロック・ハドソンが死んだ朝に、(エイズという)その単語は、西側世界のほとんど全ての家庭で普通に知られる言葉となっていた」でした。

Randy Shilts『And the Band Played On : Politics, People, and the AIDS Epidemic』(1987)

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