報道メディアのニューヨーク支局の業務は主に国連本部やウォール街の動向、そしてアメリカ全土の事件・事故や社会事象のカバーです。余力があれば学者や作家など文化人のインタビューも行い、ブロードウェイなどのエンターテインメントに関しても報じたりします。
 当時はクリントン大統領の就任直後で、赴任早々、あの世界貿易センターへの攻撃第1弾というべき地下駐車場爆破テロが起きました。国連も大忙しで、世界平和への積極介入派だったブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長の下、内戦の終了したカンボジアでは明石康事務次長が代表を務める国連の暫定統治が始まっていました。そこで選挙監視の日本人ボランティア中田厚仁さんが射殺されたり、国連派遣の日本人警察官の車が襲撃されて岡山県警の高田晴行警部補が殉死したりと大事件が続きます。欧州では旧ユーゴスラビア分裂後のボスニア・ヘルツェゴビナ三つ巴の内戦がどんどん深刻化し、連日のように国連安保理が開かれていました。北朝鮮が、現在に続く核開発問題やミサイル発射問題でNPT(核拡散防止条約)からの脱退を表明したのもこの年の1月、さらにその最初のノドン1号の発射も同年5月で、国際社会は大騒ぎになりました。アメリカでは5カ月に及ぶ中西部の大洪水も発生しており、夏のミズーリ州に入ってどこまでも茫洋たる濁り水の上を連邦緊急事態管理庁(FEMA)のボートに揺られていた数時間が、奇妙な休息の思い出として蘇ってきます。なぜなら、そこには水以外に何もなかったから。広大なトウモロコシ畑は3メートル下に水没していました。  

 一方、支局のあるニューヨーク市はアメリカのどの都市よりもエイズの影響をまともに受けた街です。1990年、エイズに関連する病死者はニューヨーク市だけで年間で5,000人を超え、95年にはそれが8,000人超に上りました。その真っ只中で、あるいはその真っ只中だからこそ、マンハッタンのゲイ・コミュニティは隆盛を極めていた時代でした。
 ゲイ・コミュニティは「エイズ」という大義名分をテコに社会的にも政治的にも一気に公の場に出ていきます。93年6月のストーンウォール記念イべントのスローガンは「Be Visible(目に見える存在になれ)」でした。80年代、エイズによって二重の差別を受け、ふたたびクローゼット(ゲイであることを隠している状態)に閉じ籠もりがちになった傾向に対し、もう一度原点に戻って「カムアウトせよ」と訴えること──。
 エイズ禍の汚名を濯ごうと、暗いクローゼットから出てきたゲイの新世代は、エイズの影に怯えつつも自分の健康さを誇示するために人工的な「筋肉づくり」を始めていました。「マッスル・クイーン」「ジム・クイーン」という言葉が生まれていました。筋肉ネエさん、ジム通いの女王様──まるで絵に描いたような筋肉美にカポジ肉腫の斑点がないことを見せるために、彼らは露出の多いタンクトップを身につけ、ショートパンツでチェルシー地区を闊歩しました。画一的なその姿は「チェルシー・クイーン」ならぬ「チェルシー・クローン」とも揶揄されましたが、それもこれも端緒は「エイズ」だったのです。

ニューヨーク・マンハッタン島の地図

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