20年以上にわたってニューヨークで暮らし、アメリカから日本を、そして世界を観てきたジャーナリスト・北丸雄二さん。そこで得た知見をもとに、「LGBT」で人生を読み解きます。

 20代で小説本を出したこともあって、東京で新聞社に勤めていた30代の頃から、出版社から頼まれるまま英米文学の翻訳もこっそり続けていました。社会部記者だったので日々終わりのない事件取材から気分転換するにはちょうどいい息抜きだったのです。もっとも、仕事のあいまに続ける作業は遅々として進まず、編集さんにはかなり迷惑をかけ続けでしたが。それからニューヨークに赴任しました。そこではまた日本の演劇ビジネスの方とも知り合って、ひょんなきっかけで日本公演用にブロードウェイの台本翻訳をやってほしいという話にもなりました。小説も戯曲も似たようなものですし、それにその頃はすでに新聞社をやめてフリーランスになっていたものですから、また文学関係の仕事もいいなと思った次第です。

 最初は映画にもなったカルト的ロック・ミュージカル『ヘドウィグ&アングリーインチ』の台本翻訳でした。2000年代半ば、今から15年ほど前のことでした。これはゲイとトランスジェンダーの物語でした。次がミュージカル部門で「ベスト・オフブロードウェイ」賞を獲った『アルターボーイズ』という作品でした。これは日本での初演から10年経った今でもキャストを変えて1〜2年ごとに上演され続けている人気舞台です。ここにも実はゲイっぽい人物が登場しています。

 前回、1980年代〜90年代のブロードウェイでは俳優も製作陣も軒並みエイズに斃(たお)れて「存亡の危機」を迎えていた、という話を書きましたが、同時にそこからゲイとエイズをテーマにした不朽の名作も生まれていたとも説明しました。「クローゼットのままではエイズと戦えなかった」からだという第一の動機はさらに敷衍して「Be Visible(目に見える存在になろう)」というスローガンに発展し、世間のゲイ(LGBTQ+)認知度を高めるために使われ始めました。繰り返しになりますが、だからこそ、ブロードウェイの演劇やミュージカルには、いやTVドラマでもハリウッド映画でもニュース報道でも文学でも音楽でも、そしてマーケティングやビジネスや政治でも、いたるところにLGBTQ+の人物が登場するように“演出”が施される社会になっていたのです。

 アメリカ文化のこの、なんでも言葉にして、徹底して正体を見極めよう、突き詰めようという姿勢はすごいものです。「海外旅行の時には政治や宗教の話は避けましょう」と日本の旅行本などには昔からよく書いてありますが、アメリカ(というと広すぎるか)、ことニューヨークや大都市部のそれなりの知識層においては、極端なことを言えば政治や宗教のことでもなんでも、突っ込んだ話のできない人はバカだと思われてそれなりの対応しかしてくれなくなります。仕事や対人関係でストレスを感じてどうしようもないときに、日本のサラリーマンなら馴染みの小料理屋で女将さんに愚痴を言ってそれで慰めてもらえば済みますが(いや、本当はそんなもんじゃ済まないんでしょうけれど、それでもなんとなくそんな「なあなあ」だからこそ癒されると感じることもあるのですが)、ニューヨークではそんな「なあなあ」では誰も納得せず、とにかく精神科医のところに行って1時間に5万も6万円も払って全部言葉で吐き出すように促されます(あるいはそう自分を促すような規範パターンができています)。

 とにかく言葉なのです。それは私が昔学校で教わった「アメリカは多民族多文化国家なので、日本人みたいに阿吽の呼吸ではわかり合えないのだ」というそんな単純な(しかも虚偽の)話ではありません。日本人だってテレパシーが使えるわけでもないのですから、他人のことなど黙っていてわかるはずもないのです。

 

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