さて今回は私の翻訳したミュージカル『アルターボーイズ』の話から始めます。

 「アルター」というのは「祭壇」のことで、キリスト教(カトリック教会)においては(パンとワインの)聖体拝領台のことです。その「ボーイズ」ということは、聖体拝領の聖餐式を手伝う教会の少年たちのことを指します。さてこのミュージカルはそんな少年たち5人がカトリックのボーイズバンドを作って、迷える魂を救うため世界中をツアーしているという設定です。そして日本版ではもちろん、彼らが日本にやってきて、そのミュージカル会場で実際の観客たちを相手に「魂の浄化コンサート」を行うという仕掛けです。

 劇中では例によって(あの『コーラスライン』みたいに)バンドのメンバーたちの自分語りのようなエピソードが披露されます。もっとも、こちらはコメディ仕立てなのでオフブロードウェイのオリジナル版は軽く明るいノリで進行します。

 その自分語りをするメンバーの1人「マーク」(これは福音書を書いた「マルコ」を共示します)が、どうもバンドのリーダー「マシュー」(同じく「マタイ」)に恋をしているような、「ゲイ」っぽい設定なのです。やがて、コンサートを続けているのに会場にはまだ「10」人の魂が浄化されないまま残っていると(特殊な計測装置に)掲示される。そのとき「マーク」はその「10」という数字になぜか触発されて、あたかも自分がゲイであるとカミングアウトするかのような語りを始めるのです(なぜカミングアウトかと言うと、原作公演の2005年当時のアメリカでは、全人口に占めるゲイ人口の割合が「10」%だと喧伝されていたからです。オフブロードウェイの観客たちは当然その数字の暗示するところをわかっているわけです)。

 マークはまだ「10」人の迷える観客に向けて話しかけ始めます。「あのね、大きくなるって……なかなか難しいこともあるんだ。とくに、ぼくみたいな男の子にはそうだった。近所の子供たちに、自分は変なやつで、気持ち悪いやつなんだって、自分自身でもそう思うように洗脳されてた。別の教会に通ういじめっ子連中がいたんだ。日曜日に教会に行くときにいつもいじめられた。ぼくのしゃべり方、ぼくの歩き方、ぼくの、細かなことにも気がつくところとか、そういうのをいつもからかわれた。あいつらに押し倒されて、ぼく、髪の毛とか眉毛とか、体中の毛を剃られちゃったことも何度もある」

 いじめられた話は続きます。しかしやがてそのいじめから、あの頃の「マシュー」が救ってくれたと言うのです。そして彼への賞賛と敬意も。一転、希望の輝きを手にした彼は、観客たちに混じるその「10」人の迷える魂に向けて明るい声で語り掛けるのです。「だから、この10人のきみたち、もしきみたちがいまも何か自分で認められない真実を抱えているのだとしても、そしてそれがもしぼくのと同じようなものだとしても、心配いらないよ。それは恥じるべきものでもなんでもない。きみは、ぜったいに、ひとりじゃないんだよ」と。

 そこで歌になります。「きみの目の奥の/その悲しみを/そのウソをいつまで/隠せるの(でも嫌われたらどうしよう)/(親にも捨てられるかも)/でもこれを言えなきゃ自分じゃない……」

 そしてそのカミングアウトの実体は「ぼくは……カトリック/周りはみなプロテスタントなのに」と明かされるのです。

 このドンデン返しがありはしますが、この部分は劇も終盤に入っての、ちょっと感動的で重要なところです。というのも、このバンドのメンバーはみんな世間の主流に属する人間たちではなく、メキシコからの捨て子だったり元不良少年だったりはたまた(カトリックのバンドなのに)ユダヤ人だったりする、つまりはアメリカ社会の宗教的マイノリティの中の、さらに社会的マイノリティでもあるという、アメリカ社会の二重構造を(コメディ仕立てながらも)提示し始めるからです。

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