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 1992年、「家族の価値のためのコロラド Colorado for Family Values」(CFV)と称するコロラド州の保守派団体が、ゲイの権利に関する住民投票を働きかけます。「修正2号 Amendment 2」として知られるこの住民投票は、州内の既存のゲイ・ライツ法や条例を無効にするものでした(略)CFVの主張は、ゲイやレズビアンを差別から守る法律は、どういうわけか、彼らに「特別な権利」を与えることになる、というものでした。現実には、例えばデンヴァーの有権者たちがほんの2年前に承認したゲイ・ライツ法は、誰にも「特権」を与えたわけではありません。単に、ゲイやレズビアンだからといってその人を解雇はできない、あるいは住んでいるアパートを追い出すことはできない、あるいはレストランでの就業を拒むことはできない、というものです。それはちょうど当時、車のバンパー用の人気スティッカーが言っていたように「Equal Rights Are Not Special Rights(平等な権利は特別な権利じゃない)」でした(略)法廷闘争も始まりました(略)下級審での裁判を経て連邦最高裁にまで行った裁判は、1996年5月20日、6対3でこの「修正2号」を合衆国憲法違反だと宣言しました。(略)この裁判は「ローマー対エヴァンス Romer v. Evans」と呼ばれます。判決はまた、LGBTへの「特別な権利」云々の議論にも終止符を打ちます。(略)「修正2号が(LGBTコミュニティに)与え惜しむ法的保護に、我々はなんら特別なものを見いださない。これらの保護は、ほとんどの人々にとっては、すでに保有しているものか、あるいは必要もないものであるが故に、当たり前の権利である」と判決の多数意見は述べています。「(修正2号は)人間をただ1つの形質でひとくくりにし、それを基に彼らの保護を全般にわたって否定している」が故に、明らかに違憲でした。──(本書P.128より抜粋)

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 「一般の人に理解してもらえるようなもっと穏健なやり方があるだろう」という謂いにも数多くの答えが出されています。「現状で十分満足している、生きづらくなんてない」だから「騒がれたくない、そっとしておいてほしい」というLGBTコミュニティ内部の「思い」もあの「ストーンウォールの反乱」の項の最後で、具体的な実在の個人の言葉として、次のように登場しています──

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 ペリー・ブラスはこの(ストーンウォールの)暴動のもようを遠くから眺めていました。一緒にいたのは彼の友人で、裕福なゲイ男性でした。その彼が激怒していたのです。「せっかく隠れて生きているのに!」と、アイヴィー・リーグの卒業生である彼は言ったそうです。「すべてうまくいってたじゃないか。自分たちのバーもあるし、自分たちのビーチも、自分たちのレストランもある。それをあのオンナども(girls)が全部ぶち壊した」と。──(本書P.77より抜粋)

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 上記のその思いがその後にどういう顛末を迎えるのかも、歴史が語ってくれています。杉田水脈衆議院議員の「生産性」発言などにも窺えるそうした逆コースの障壁は、この本の中で史実として解決されてきたのでした(もっとも、原著はその刊行後に「トランプ」という現象が起こることまでは予想してはいなかったようですが)。

 翻訳するときにいつも悩むのですが、文学作品のときは特に、私は極力「訳注」というものを用いないようにしています。読んでいてリズムが乱れるからなのですが、今回は文学作品ではないながら、アメリカでの司法制度や行政、立法の仕組みが日本とはかなり違うことなど、どうしても日本の読者向けにそういう説明が必要になってきました。そこで今回は、ドキュメンタリーながらも「translation」と同時に「interpretation」をしようと決めました。さまざまに文脈を補足説明しながら、「通訳」をするように含意や背景を含めて訳していくことにしたのです。

 だいたい、アメリカでは日本文学を英語に翻訳して刊行するときに、例えば村上春樹の小説など一章丸ごと削除してアメリカ版として大幅に編集したりするのですよ。日本の翻訳本は生真面目に逐語訳がモットーであるような伝統もありますが、どうしてそういう手を加えてはいけないのか──そうはいっても私の今回の翻訳はいわゆる「超訳」でも、『フィネガンズ・ウェイク』の柳瀬尚紀さんみたいな訳でもなく、一応原語がわかるような訳し方にはしています。
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